活動の軌跡

私は京都市左京区の黒谷に引っ越して20年ほどになります。15年ほど前からある特性を持っ た若者たちと関わる活動を始め、今現在は活動から生業へとなりつつあります。ある特性を持った若者とは、数年前より「社会的ひきこもり」と呼ばれている若 者たちのことです。なかには、部屋に籠城するかのように親とも全く会話もなく10数年間も心を閉ざす若者や、いじめや対人関係の不安から一人孤独になって 心を癒す若者、そんな若者たちとこれまで多く接してきました。
活動をはじめてまもなくのこと、ある母親と若者が京都の私の自宅を訪ね てきました。近くの喫茶店に行き、母親の話を聞くことになりました。若者は中学卒業後、進路先がなく自宅で鬱々とした生活を送っている様子でした。母親は 自分の子供のつらさを延々と私に語り続けました。たとえば、担任の先生にひどい目にあったこと、将来が不安なこと。私も人の悩みを聞くことの経験がそれま であまりなく、言葉一つ一つが新鮮で重みを感じたものです。
しかし、若者本人の表情はなにやらボーっとして視線を別の方向に向けてい た様子でした。30分も過ぎた頃、母親がバックの中からハンカチを出し、溢れるばかりの涙をぬぐいはじめました。そのとき、今まで一言も発しなかった若者 が母親に向かって、「おっかあ、泣くな」と言いました。人前でみっともないから止めて欲しいと思って若者がそんな発言をしたと、私は思いました。しかし、 「泣きたいのは俺だ」と若者はしばらくして言ったのです。私は大変驚きました。その一言で十分彼の置かれている苦悩が分かりました。と同時に、母親は全て を説明しようとすることによって、若者が抱く喜びや悲しみ、そして泣きたい気持ちを表す感情の表現をあたかも奪っているかのように感じてしまいました。訪 問される母親や若者との出会いは、じつに学ぶことが多い日々でした。
またある時、奈良から高木さんという一人の母親が訪ねてきたこと がありました。高木さんの息子は当時26歳。彼は19歳の終わりから一人暮らしを始め、そのアパートで既に7年の間、外出もできぬままひきこもる状態と なっていました。三日に一度ぐらいの割合で、高木さんは息子に食事を届ける日々でした。私は高木さんから訪問依頼を受け、息子のアパートを訪ねることにな りました。彼の部屋では最初、壁越しでのみ会話が可能でしたが、徐々に顔を合わせて会話できるようになりました。そんなある日、彼が私に部屋を見せてくれ ると言ってくれました。「山田さん、これが僕の部屋です」と彼が指し示した6畳ほどの畳敷きの部屋。彼一人で暮らしている部屋であるはずなのに、なぜかそ の部屋には誰かが横たわっているような影が一人分見えました。なぜだろう、おかしいと思いつつ、部屋の様子をじっと伺うと謎が解けました。私の目には誰か が横たわっているように見えた影は、畳の「しみ」だったのです。7年もの間、畳一枚分の広さに布団を敷くこともなく彼が横たわり続けたことによって、寝床 となった畳にはじっとりと「しみ」が人の形となって染み込むまでになったのです。もちろん、母親からは布団が彼に届けられていました。しかし彼は、母親か ら届けられた布団を決して使おうとはしなかったのです。彼の母親に対する屈折した感情を、私は彼の部屋から垣間見たような気がしました。
11 月のある日、高木君から京都の居場所に行ってみたいと連絡がありました。私はその夜、高木君のアパートまで迎えに行きました。薄汚れたジャージしか彼は着 てなかったので、上に羽織るジャンパーを私は持っていきました。私たちは駅までの道を歩き出しました。前方から中学生らしき若者が自転車で向かってきまし た。その姿を見るや、高木君は思わず電信柱の後ろに隠れました。私も思わず彼と一緒に隠れました。
そうこうするうち、近くの駅に着き ました。待合室を見ると、二・三人の乗客が薄暗い明かりの中で列車を待っていました。高木君は泣きそうになり、「この駅では列車に乗れない」と私に哀願し ました。私は近くを通りかかったタクシーに二人で飛び乗り、JR奈良線には無人駅はないかと運転手に尋ねました。運転者に教えてもらった上狛駅に向かい、 列車を待ちました。ホームには私と高木君の二人きり。夜の10時30分頃、列車が到着しました。列車の構造は座席が対面式となっていたので、高木君の提案 でボックス式座席である最終列車に乗ろうとなりました。誰も乗っていない客車で私たちはポテトチップスを交互につまみながら、京都に向かいました。これが 高木君にとって、初めての旅立ちとなったのです。
こんな活動をしていると、不思議な体験もあります。福岡出身の吉本さんとの出会いで す。吉本さんは現在、50代後半の女性です。彼女が登校拒否を始めたのは、50年以上前のことです。その当時、学校に行けない子供の心の状態に対しては、 全く無理解の時代でした。教員であったかんしゃく持ちの父親からは、ひどい叱責を受ける日々を彼女は送っていたのです。彼女のつらかった日々の話を私が自 宅2階で聞いてみると、彼女は三度の自殺を試みたそうです。三度目は確実に死ねるように薬を飲んだうえ、手首を切るために包帯を巻き、遺書をしたためたそ うです。そのときの気持ちは「死にたい」のではなく、「ただ苦しみから逃れたい」との一心だったそうです。もちろん彼女は、神様や仏様にすがったと思いま す。しかし、もう誰も助けてくれないと思ったとき、彼女から不思議な思いを抱いたそうです。そのときのことを彼女はこんな風に私に語ってくれました。「光 り輝く阿弥陀様の方から私の心に入ってこられた」と。
救いを求めて人は祈り、哀願するときがあります。しかし、全てを諦めた彼女のような体験を聞いたのは初めてのことでした。その後、彼女は迷いもなく平穏な日々を送るようになったそうです。
多 くのご家族のご子息が抱える悩み・苦悩を聞くとき、いま私の心境はご子息自身が家族のご本尊様である気がします。かつて、ご本尊様は動かぬものとしてどの 家庭にありました。何か苦しいとき、あるいは楽しいことがあれば、私たちの祖父母たちはご開帳してご本尊に語りかけたものです。ご本尊様が私たちの苦しみ や悩みを背負ってくれた時代があったのです。いま、家庭にはご本尊様があるのでしょうか。豊かになった今、家の造りからはご本尊様が一見、姿を消したよう に映ります。しかし、家の中でじっと動かぬ「ひきこもり」の若者に出会うと、この家族のご本尊様が彼ら自身であると思えるようになりました。彼らは家族の 病理を背負って静かに部屋でたたずんでいるのでしょう。これまで、多くの若者を訪問しました。私はじっと手を合わせて、「お疲れさま」と心の中で若者に伝 えます。
この15年間は多くのことを学び、多くのことを感じた日々でした。
編集部 (05年11月8日更新)