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掻きむしられる心

掻きむしられる心

先日、ある会社の社長さんが運転する車に乗せていただく機会がありました。その方は白髪でしゃべり方も穏やかで、おっとりした印象を受けました。

数分の運転中に突然、別の車が飛び出してきました。接触事故が起こりそうな雰囲気です。社長さんは急ブレーキを踏むなり、窓を開けて相手の運転手を怒りを込めて罵りました。僕は驚きました。日頃、穏やかでおっとりした方がこんな一面を見せるんだと。

しばらくして、本人もばつが悪そうにして気まずい時間が過ぎました。僕は運転をすることはないので、こういう感情に襲われることがありません。ただ、この社長さんもひょっとしたら、車さえ乗らなければこんな人格変容の一面を出さずにすんだでしょう。

長崎で小学六年生の女子の痛ましい事件がありました。パソコンを使って相手とおしゃべりする、「チャット」をしていたそうです。なにか傷つくコメントが書き込まれたことによって悩み、書き込んだ相手に対して怒りをコントロールできない状況に追い込まれたようです。

車 とパソコンの能力は人間の能力を遙かに超えた素晴らしい機械です。ボタン一つで、アクセル一踏みで、知識と情報やスピード感を手に入れることができるので す。僕は50歳ですが、未だに車もパソコンも所有していません。子供の頃から、なぜ自分がそういうモノに手を付けなかったのか。未だにわかりません。もし 強いて答えを見つけるとすれば、自分の能力以上の車やパソコンを使うことによって、攻撃的になり怒りがコントロールできなくなって自らが作り上げた人格が 変容する危機を、子供の感性で見抜いていたのでしょうか。便利と豊かさを商品として利用すれば、必ず自分の本質的な攻撃性が剥き出しになると感じていたの かもしれません。

小学校6年生の女の子が自分の心に何が起こっているのかわからず、パソコンを使い続け知らず知らずのうちにチャットの相手方を殺したいと思うさま。性格が変容している子供の部屋の空間を想像するだけで、こんな痛ましいことはありません。

か くいう、僕にも実はこのように人格が変容する瞬間を体験したことがあります。中学3年生の新学期でした。僕たちは校庭の掃除をしている時、一人の先生が近 づいてきました。その先生は何か一言二言言うなり突然、僕に平手打ちをしました。何が起こったのか、さっぱり分かりません。友達も心配し、「どうした山 ちゃん。なにかあったのか」と心配そうに聞かれましたが、「ううん、別に。何もないよ」と言うのが精一杯でした。僕は学級委員長をしていて、学校生活はい わゆる優等生のような感じで過ごしてきました。ましてや、母以外に他人から殴られるといったような暴力を受けることは一度もありませんでした。学校帰り、 その日のあったことを思い出しました。その先生の顔を思い出した時、いきなり心がグワッと張り裂けるような思いで、「あの野郎、ぶっ殺してやる」と思いま した。自分の人生14年間で一度も思いもしなかった感情でした。帰り道のアパートの階段に座り、じっとうずくまっていました。遠くには夕日が見えました。 しばらくして、止めどもなく涙が出てきました。張り裂けた心に染み入るように涙が溢れました。

僕は僕自身で僕の心を癒すことがで きたのです。今思えば、一人で自分の心と向き合った、大切な孤独の時間だったと思います。それ以来、教育に体罰が効果があるという意見は、全く信じられな くなりました。暴力や攻撃に対する人間の心はいつも弱くおののいて、どうしたら良いか分からなく掻きむしられる存在なんだと僕は思います。

編集部

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