情報センターISIS(イシス) 京都

ISIS開所に寄せて

ISIS開所に寄せて

私たちはしばしば「あるがまま」という言葉を使う。ところが「あるがまま」という言葉の実質を伝えようとすると、存外むずかしいことに気づかされる。感覚ではわかるのに、言葉を説明しようとすると、これほどてこずる言葉もめずらしいのだ。

このむずかしさは「引きこもり」という状態像を説明することのむずかしさに通じるのではないだろうか。否、説明しようとするとこと自体がおこがましく思えてくる。

「あ るがまま」の話に戻って、たとえば少し具体的に「子供のあるがままを認めよう」という場合、「あるがまま」の肯定が目指される。肯定ということと、正当化 とは雲泥の差がある。正当化は理由づけをともなっているのに対し、肯定は受けとめである。それ以上のことはしないし、不要でさえある。

このことから、次のようにいい得るであろう。「あるがまま」は、受けとめ手がいなくては、その姿を現さない。「子供のあるがまま」は、子供の現状をまるごと受けとめようとする場面に、はじめて現れてくるのではないか。

「引きこもり」という状態像についても同じことがいえそうに思う。まるごとの受けとめ手を得て、はじめて「引きこもり」はみずからの「あるがまま」を現すのであると。

「ISIS(イシス)」は、「あるがまま」を生きようとする新しい感受性に向け、そのまるごとの受けとめ手として、的確な情報を迅速に発信していくに違いない。

芹沢 俊介

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