秋葉原事件に思うこと
今回の事件を聞いて、やりきれない気持ちになった。彼が多くの尊い命を奪ったことは決して許されることではない。しかし、彼をそこまで追いつめたものは何だったのだろうか。事件のこともさることながら、そこに至るまでの彼の心情を見過ごすわけにはいかないと感じる。彼の心の奥底に流れていたものは何だったのか。
彼が書いたとされるネットへの書き込みを見た。彼の文章は短くて、簡潔である。無駄が無く、余分な装飾は省かれている。だからこそ、彼の抱えていた生きづらさがストレートに読み手に伝わってくる。たんたんとした文章の中に見られる、やりきれなさ、不条理、孤独感…。この書き込みからは、生きることに対する喜びや幸せといったものは全く感じられない。毎日、毎日、彼はどのような想いで日々を過ごしていたのだろうか。
ニュースで、防犯カメラに録画されていた、彼がナイフを購入した際の様子が映し出されていた。そこには、店員と微笑みながら会話をしている彼が居た。事件当日の、ナイフを振りかざしながら走っていく彼とは別人のようである。笑顔の影で、彼が抱えていた心の闇の大きさは、はかり知れない。だからこそ、彼の笑顔が余計に悲しく感じられた。
今回の事件については、現代における日本社会の歪(ひず)みが表れていると捉えることも出来るのではないだろうか。格差社会、高学歴社会、成果主義、勝ち組・負け組、派遣労働者の使い捨て‐耳を覆いたくなるのは私だけだろうか。このような価値観が蔓延している現代社会において、生きづらさを感じている若者が少なからず居るのが現状ではないだろうか。
彼が事件を起こす前に、ライフアートに来ていたら、また違った展開になっていたかもしれない、と感じる。人は皆、ひとりでは生きていけない。自分自身の存在を認めてくれる人がいることによって、初めて自己を肯定出来るのではないだろうか。
存在を認め合う社会‐そんな社会がつくられる必要があると感じる。人間は本来、生まれてきただけで、生きているだけで充分に価値ある存在のはずである。時代の波に翻弄されて見失いそうになるときもあるが、真実を忘れないようにしたいと